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ねむれよいこよー

 新宿に行って、「ローレライ」を見に行きました。今年はSF大会に参加することにしているものですから、まぁ見なくちゃならない「課題作品」じゃないですか。トミノ監督の活躍も見たかったですし、「ガンダム世代は見ろ」とのお達しも多々ありましたから。

 で、見た結果ですが、軍オタ的にはその表現はどうよ、と思わせる描写が数々ありましたね。水上艦艇から潜水艦に魚雷は発射しないだろ、とか、日本軍の魚雷は酸素魚雷だから航跡を引かないだろ、とか、艦艇はそんなに密集して行動しないだろ、とか。ただ、これだけのオタクスタッフが揃っているのですから、知らないでやっている訳はないのでありまして。スタッフたちが「描きたいこと」を明確にするための演出なのでしょうね。

 で、「描きたいこと」とは何かといえば…ナショナリズムクサくない「ヤマト」なのではないかなぁ、なんて思いましたね。「ヤマト」といえば、「さらば」も含めて、実にナショナリズムのにおいが強い作品でした。地球を守るっていうのは実はウソッパチで、「日本を守る」ことが最大の目的でした。味方側のキャラクターは全員日本人でしたし。また、「ヤマト」においては、味方を救うために自分の命をなげうつ、ということに、非常に大きな価値が置かれていました。加藤、斎藤、真田さん、などなど。まあものすごく単純化した話をすれば、日本を守るために特攻することが正しいことなのである、という考えを背後に持っていました。
 ですが「ローレライ」においては、「日本を守るために戦う」という目的は一致しているのですが、驚くほどナショナリズムのにおいはしません。それは戦う目的が、もっと抽象化された、人類愛的なところにあるからです。また、徹底して「特攻」は否定されます。個人的な、人間的な理由から自分の命をなげうつという描写は成されはしますが。戦後民主主義教育的観点から、「ヤマト」を読み直した作品を作りたかったんじゃないかな、と感じたのですね。

 そう考えると、「ローレライ」はかなり燃える作品になります。最初の駆逐艦との戦いは、空間磁力メッキや、アステロイドをまとったヤマトの戦いを彷彿とさせますし、最後の戦いはまさに七色星団の戦い(ドメル艦隊との戦い)をなぞったもののように思えます。

 映画自体の出来については、まあいろいろ意見はあるのでしょうが、少なくともオタク第一世代、第二世代には、強く訴える作品であったように思います。

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ハチミツとクローバー02

 えーと、「巌窟王」が終わって以来このブログはちと停滞状況にありましたが、それはとりもなおさずやおい的萌えが足りないためでした。いや、ショタ度満点の「ムシキング」のポポたんとかいますけど、リアルタイムで見ることができないもので。やっぱりアニメはリアルタイムで、テレビにかじりついて見ないと。

 で、リアルタイムで見ることができる作品の中で萌えキャラを探してみたのですが…いるじゃないですか。それも私の大好物であるわんこ系受けが。それが「ハチミツとクローバー」の竹本くんなのでした。

 原作でも確かに受けっぽい面を見せてくれていたわけですが、アニメになるとその声の艶っぽさもあって、もう受け受けしさは数倍に。今回はさらに美味しいシーンが満載で、もう倒れるかと思いましたよ。いじり主というかご主人様であるところの森田先輩の帰りを待って、待って、待って、忠実に待ち続けるその姿! 倒れた森田先輩をかいがいしく介抱するその姿! そして実は利害が衝突するにもかかわらず、それに気づきもしないアホの子っぷり! そう、私はアホの子受けを求めていたのですね。原作通りに行くなら、竹本くんの自立話(自分探し)とかも出てくるのでしょうが、それはそれでまた受けっぽいのでありまして。ももも萌えるー!

 てな訳でこのブログは、竹本くん萌えを書き込む場と相成ったのでした。「巌窟王」の時には迂闊にもネタバレバリバリでやっちまいましたが、今後は純粋に「竹本くんで萌えたところ」だけを書いていきたいと思います。萌えは心の燃料です!

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ハニーアンドクローバー

 思えば、今はなき「キューティーコミック」に第1話が載った時は、随分興奮したものでした。すげえ新人がきたぜ、と。単行本1巻が発売された時は、興奮のあまり2ちゃんにスレを立ててしまったものでした。キューティーコミックが休刊になってひとたび連載が終わった時には、随分と切ない思いをしたものでした(羽海野チカの短編が大量に発表されるという利点もありましたが)。「ヤングユー」で連載再開になった時は、もうこの上なく嬉しく思ったものです。アニメになる、と聞いた時には、やはりと思いながらも、少々危惧を抱いたものです。スベりまくったらどうしよう…という。「朝霧の巫女」や「ヘルシング」のような不幸な例もあったじゃないですか。

 ところが実際見てみたら、これがいーい出来じゃあないですか。そりゃまぁOPがわけわかんなかったり、原作のギャグを無理矢理アニメに起こしてるようなところがあったりはします。また声がイメージに合わない、という意見も聞こえてきそうです。ですが全体的な構成がいいじゃないですか。それからあの曲をああいう風に使うとは!一気に「ハチクロ」の世界が目の前に広がったように思え、思わず「なにか」がこみ上げてしまいましたよ。とにかく愛にあふれたアニメ化で大満足。これだよ…。こういうのがアニメ化だよ…(帯涙)。

 そしてもう一つ、竹本くんといえば、原作からして受け受けしかったわけですが、アニメにおいてはさらに受け度アップ。その点でも見逃せませんわ。ふふふふ。

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パパラッツィオーヌ

 今日の新番組は「フタコイ・オルタナティブ」と「スピードグラファー」。

 前者はまあ動くこと動くこと。ヌルヌルだった無印「双恋」とはまったくテイストの異なる作品になってますな。お話の中身はまあスッカラカンではありますが、別にそんなことはまったく問題ではないのでありまして。これは見続けていきたいですな。ただ残念なのはテレビ埼玉の放送では「ハガレン」とかぶることでしょうか。

 それから後者はオサレ系大人向けアニメ。狙いはまぁ悪くないでしょう。「攻殻機動隊」や「カウボーイビバップ」を受け入れた層を狙っていくという。アダルト・オリエンティッドなアニメは、アニメ視聴者層の高年齢化とあわせて、今後どんどん需要が増えていくでしょうから。デュラン・デュランですしね。ただ全体的に枚数が少ない感じがバレバレなのが残念なところでしょうか。目の肥えたオタクオヤジはそういうところが気になるでしょうから。
 それにしてもゴンゾが自社で提供とは。ゴンゾといやあアニメにおける新しいビジネスモデルを模索していることで知られていますが、自分のところの作品を自分で提供するほどカネがあるんでしょうか。まあいずれにせよDVDでペイするつもりで、テレビ放送枠は宣伝と割り切っているのでしょうけど。ある意味新しいのは間違いありません。抽象的きわまりないCMにはもにょもにょですけど。

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モエとアニメと

 新番組ラッシュなので、やっぱりいろいろチェックしてます。

 まずは「ムシキング」。これは凄い丁寧な作りですな。「ムシキング」といえば、小学校低学年、コロコロコミック世代を狙ったゲームですが、アニメは「コロボックル」(ハチクロではなく佐藤さとるの)のようなファンタジーになってますね。エコロジーマンセーな作品になりかねないクササを持ってはいますが、少年の成長物語に重点を置いていそうなところが要注目ですね。次回からは女キャラも出てきますし! ママン魅力的ですし! そしてなによりショタっ子ポポたんハァハァですし!

 次は「IZUMO -猛き剣の閃記-」。ギャルゲー構造そのまんまの萌えアニメは、もはや何も言うことがありませんな。伝奇ものの要素を加えると、多少は目先が変わって見えますが、多分それだけでしょう。これはもう無視決定。

 それから「極上生徒会」。いや、面白いですよ。黒田ですし。野田順子いいですし。これは視聴決定。ですが岩崎良明は自分の可能性をどんどん狭めてるように思います。誰が見ても「岩崎だ」とわかる方法論は、作家性を高めるという点ではいいんでしょうが、どの作品もおんなじようになってしまう危険性を持っています。そもそも作品が違うのに見せ方が同じ、というのは、はっきり言ってどうよと思うのですね。
 あと気になるのは「字に頼る演出」がとても多く見られること。輸出するときどうするんじゃ、というよけいな心配もありますが、やっぱりアニメは動かしてなんぼ。レイアウトで見せてなんぼ。字で説明しちゃそれだけでげんなりというものです。キャラの名前を出すのはわかりやすくていいんですけどね。

 最後に「LOVELESS」。スゲエ! ヤバイ! がゆんだ!
 がゆんといやあ「読みたいところだけ!」「描きたいところだけ!」というシマモトイズムまんまの作家であるわけですが、アニメ化に際してそれを死ぬほどよく理解しているのですな。カット割りや光の使い方やレイアウトが「動きのあるがゆん絵」になっていて、がゆんをめちゃくちゃ研究していることがわかるのですね。やりすぎとしか言いようがないほどのコッテコテな女子向けエロ展開もまたしかり。いやあ、がゆん作品をアニメにするなら、やりすぎぐらいが丁度いいということがよくわかります。加えて作画もリキ入ってますし、○学生のオパーイですし(なんのこっちゃ)。さる信頼すべき筋から「これは見とけ」と釘を刺されていたのですが、いやー、その通りでした。こうしてまた睡眠時間が減るのですなぁ。

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ウィーアーロボト

 春の新番組ラッシュなので、眠くて仕方がないのですが、「創世のアクエリオン」を見ましたよ。河森正治監督はいろいろ前科があるのでまぁいいとして、助監督が「灰羽連盟」の監督であったところともかずなので、注目の作品だったわけです。

 で、見てみた結果、「ロボットアニメのあり方」についてずーんと考えさせられてしまいましたね。ロボットアニメを成功させるには、二つの方法しかないのではないかと思ったのです。
 ひとつは、徹底的に世界と設定を作り込み、「その世界にはほんとうにロボットが存在するのだ」と思わせる方法です。とことんシリアスにやり、リアルロボットで攻めるという方法ですね。最近の作品では「エヴァ」とか「ファフナー」とかが該当します。
 もうひとつは、物理法則とかリアリティとかそういうのはいっさいすっ飛ばして、スーパーロボットとしての爽快感を追求する方法です。キャラはコテコテの熱血で、女性はみんなボイン。ロボには口がついてないとダメ。エネルギー源はなんだか凄い超エネルギー。荒唐無稽なのは当然で、むしろ荒唐無稽さを逆手にとって派手な表現をする。「ガオガイガー」と「ゴーダンナー」が典型例だといえるでしょう。

 いずれの方法も、それぞれ魅力を持っていると思います。その方法を貫徹しているという場合においては。「この路線で行くんだ」という決意が、統一感のある、印象に残る作品を生むのだと思います。開き直って、どちらかに振り切ることが重要なのですね。悲惨なのはどっちつかずの場合です。シリアスにも荒唐無稽にも振ることができない作品は、焦点がぼけてしまうのですから。

 見ていて強く感じたのは、昔ながらのスーパーロボット的ガジェットというのは、もはやある一定の了解なしには通用しないということでした。合体やらアクの強すぎるキャラやらワンダバやらは、もはやオヤクソクになりすぎて、ギャグにしかなり得ないのですね。開き直って、「そうでなくちゃダメ」といった描き方をするならいいのですが、中途半端にリアルロボット要素と絡めてしまうと、なんだかひどくすわりの悪い表現になってしまうのですね。ですから、どっちかの方向に振り切るしかないのかな、なんて考えてしまったわけです。

 ただ、方法はあるはずです。リアルロボットにほほえましいギャグを入れることは可能であるはずですし(「瞬間、こころ重ねて」なんかが思い出されますね)、スーパーロボットにリアリズムを付与すること(ダイガードみたいに)も可能なはずです。このへんの兼ね合いが難しいので、ロボットアニメは作られにくくなったのではないか、なんて思ってしまいますが、それでもロボットアニメにはまだまだ可能性と、視聴者をガッツリつかむ魅力があるはず。新しい可能性が、まだまだ模索されなければならないのかな、なんて思いましたね。

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