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ウンガラの太鼓

 今日は漫画史研究会。会そのものは外国の漫画事情、ということで、特に台湾とフランスの事情を聞けて勉強になりましたね。フランスのアニメ雑誌を見ると、もうエウレカセブンとかアクエリオンとか載っているのですね。アクエリオンとかは国内でもやっていないところが多いですから、日本国内の地方の状況とあまり変わらないのではないかな、なんて思いましたね。日本の地方だってDVDが出てから初めて見るという人がいるのですから。あとはフランスで出版されている/現在日本で話題のマンガの状況が載っているのも興味深いところでしたね。「よつばと!」とか取りあげているのですから。フランスオタクあなどれじ、といったところです。

 個人的な収穫は、親しい方から、「芦田豊雄イラストレーションズ」(1985、みのり書房)を見せてもらったことです。「ミンキーモモ」から「バイファム」にいたる芦田豊雄のイラストを集めたもので、モモのイメージカラーであるピンクを生かすために、特色(蛍光ピンク)バリバリの印刷。20 年経っている割にはビビッドな本でした。巻末では石黒昇やゆうきまさみ、板野一郎らと対談しているのですが、これも当時の世相を反映して興味深いこと。当時を語る証言として記録しておくべき内容でした。

 なにより収穫だったのが、芦田御大が描かれた「ウンガラの太鼓」が載っていたこと。80年代、「ファンロード」をリアルタイムで読んでいた時、この名前が頻繁に出てきたのですね。伝説的にアレな内容のマンガとして、語りぐさになっていたのです。ヒドイ漫画があると、「ウンガラの太鼓みてえ」「ウンガラの太鼓になっちゃうぞー」と、代名詞としてさんざんバカにされていたのです。最近「ファンロード」を丹念に読み返してみたのですが、やっぱり出てくること出てくること。当時の読者たちにものすごい影響を与えた作品だったことが、アリアリと伝わってきたのです。ところが私は読んだことがありませんでしたし、何に載っていたかも知らずじまい。「すげえ作品だったんだろうなー」とこころに引っかかっていたんです。
 で、現物を見たのですが…やっぱりスゴかったですな。ほとばしる悪意! 行き過ぎた情熱! もうなんだか分からない力の入り方!でもよく見ると批評的な内容!すっかり圧倒されてしまったのでした。芦田豊雄といえば「ワタル」が代表作なんでしょうが、この「ウンガラの太鼓」も間違いなくものすごい代表作だったのでした。

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ミュージカルバトンには

 いろんな方から「Musical Batton」が回ってきたので、ちょっと書いてみることにしましょうか。

*音楽ファイルの容量
 およそ70GB。以前の仕事が非常にストレスフルだったので、1日1枚CDを買っていたのですね。それを全部HDDに取り込んだんでこのような仕儀に。

*最初に買ったCD
 レコードなら円広志「夢想花」。CDならブルーハーツ「チェルノブイリ」。

*最近買ったCD
・くるり「アンテナ」
・灰羽連盟オリジナルサウンドトラック「ハネノネ」
 最近はCDをめっきり買わなくなりました。漫画に比べるとコンテンツ単価がもの凄く高く、アニメDVDに比べれば安いですが情報密度に劣り、コストパフォーマンスに欠けます。現在の音楽流通には、「情報量の割には価格が高すぎる」という大きな問題があると思います。

*現在聞いている曲
・The Smiths「This Charming Man」「Cemetary Gates」
・Dschingis Khan「Genghis Khan」「Moskau」「Machu Pichu」
 心が疲れるとスミスを聞いてしまい、80年代のクラムジー&シャイな自分に戻ろうとしてしまいます。ノッテいるときはもっぱらジンギスカンなどの70年代ディスコミュージック。

*思い出深い5曲
(1)YMO「Music Plans」
(2)じゃがたら「つながった世界」
(3)町田町蔵「イスラエル」
(4)坂本真綾「マメシバ」
(5)くるり「ロックンロール」
 小学5年生の時に聞いた(1)がなければ、私は音楽を積極的に聴くことはなかったでしょう。当時YMOといえば「ライディーン」であり「テクノポリス」だったわけですが、私は妙にアルバム「BGM」「テクノデリック」に惹かれたのです。生まれながらのマイナー志向(古い)ですか? 細野晴臣の仕事には今でも敬服しています。
 (2)は現在でも私のオールタイムベスト作品。「タンゴ」「みちくさ」など好きな曲はいくつもあるのですが、この「リングワールド」が一番「未来」を見据えているように思えて、もっとも心を動かされます。
 (3)江戸アケミの死後、少々音楽から遠ざかっていたのですが、そんな私を音楽に引き戻したのがこの曲。「バビロニアの神と…」ではじまる詞の力の強さ。タイトな演奏。盛りだくさんな内容。
 95年の「エヴァ」から私は本格的にアニメに戻っていくのですが、そこで驚かされたのは音楽への志向が高まっていたことでした。アニメ音楽やアニメソングといえば、いかにもアニメアニメしたものが多かったのですが(特にバブル期はその傾向が強かったように思いますが)、この頃から音楽に留意した作品が増えはじめます。そしてアニメ音楽にも、一般の音楽に劣らない良さを持っているものが現れ始めます。そのカギになったのが菅野よう子であり、坂本真綾だと思っています。(4)は真綾たんハァハァの意味も込めまして。
 そして最近力強く感じるのが(5)ですね。くるりといえばセカイ系の心性を反映した「ワールズエンドスーパーノヴァ」みたいな曲を作ってましたが、最新のアルバムではそうしたふぬけ心性をすっ飛ばして、「愛が世界を救うんだ」と歌っています。なんてお馬鹿な! ですがそのお馬鹿さがまた本当のブレイクスルーの可能性を持っていたりするのでありまして。

 で、この「Musical Batton」については、私ははっきり「良くない」という印象を持っています。要はチェーンメールではないですか。トラフィックを増やすだけですし、うがった見方をすれば、音楽業界の市場調査なのではないか、個人情報の調査なのではないかとも思えます。しかも5人に回すというのがやな感じですね。受け取って喜ぶ人もいるでしょうが、受け取って困る人もいるかもしれないのに。音楽の趣味という、表現者の自尊心をくすぐるような題材であるところが、またイヤラシイと思います。なのでこのバトンは明確に他人に渡すべきではないと思いますし、すぐにやめるべきだと思います。

 そんなわけなので、バトンを渡してくださった人には申し訳ありませんが、ここで止めることにします。すいませんねぇ。

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映画「くりぃむレモン」

 オタクの間でちょっと話題になった映画「くりぃむレモン」を見ましたよ。映画館ではなく、ケーブルでかかっていたのを。

 で、……………………………………………………………………
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…………………………………………あっ、………………………
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 という映画だったのでした。いや、比喩でなく、吾妻ひでおの「ブキミ」でもなく、ホントにこんな感じ。

 ストーリーは原作とだいたい同じです。女子高生の亜美ちゃんには、血のつながらない兄のヒロシがいて、亜美ちゃんはお兄ちゃんに恋心を抱いていた…というもの。原作とちょっと違うのは、お母さんに見つかったその後が少し描いてあることでしょうか。その意味では、まぁ原作に忠実といえないこともないでしょう。

 ところがその内容は、原作がある種のトラウマになった往年のファンたちを慄然とさせる、いや、激怒させるに十分なものだったのでした。

 そもそも亜美ちゃんの造形が原作とかなり違い、イマドキの女子高生というものになっています。内気で自己表現が苦手という点は踏襲しているのですが、格好、言葉遣い、考え方、身につけるもの、みんなあまりにも今風で、セーラー服でうつむいている亜美ちゃんの面影はまったくありません。まぁこの現代に、原作通りの「お兄ちゃんを一途に思う妹」という造形も現在では無理があるのですが、もう少しなんとかしてくれてもよォ、という気がするのですね。それからエロが薄いのです。R15ですから仕方ないのですが、原作でおなじみのあの透過光とかあのぬとぬととかは全部ありません。女優さんとの契約の問題なのでしょうが、そもそも亜美ちゃんはオパーイひとつ見せません。下着はありますけど。ぬぅゎんじゃこりゃー!と激怒したくなってしまうではないですか。そして映画自体がものすごーーーーーーーっっくテンポが悪いのですね。5秒で説明できるシーンを1分かけるのですから。長回しをすることによって緊張感を出す意図があるというのは分かるのです。それは小津から続く日本映画のひとつの伝統であり、様式なのですから。ですがすべてのシーンがそうした長回しでできているとなると、どんな緊張感を演出したいのかも分からなくなってしまうのでありまして。
 まぁここまでくるとすがすがしくはあるのですが、一言でいうと「こんなひでえ映画久々に見た」という印象ですね。そしてあの内気で可憐だった亜美ちゃんを思い出してしまい、天を仰いでしまったのでした。映画館まで行った人は、どれだけの怒りを感じたことでしょう。

 で、思ったのですが、日本映画には、映画をエンターテイメントにしきれないという、何か変な病のようなものがあるような気がします。そりゃ「ローレライ」とかは頑張っていたように思いますが、いわゆるサブカル系とか文芸系の映画に。映画のことはよく分からないのですが、この数年私が見た、サブカル系にカテゴライズされるような日本映画は、みーんなその病にかかっているような気がします。「ゲンセンカン主人」「ジョゼと虎と魚たち」などなど。みんな映画を芸術的にしようとしすぎて、映画のもうひとつの魅力である「エンターテイメント性」を切り捨ててしまうのですね。むしろ「映画をエンターテイメントにするのは堕落である」「エンターテイメント性がないのが文芸的な映画である」と考えているフシがあるように思えてしまいます。そして共通するのがカットバックを極力排除した長回し。カットバックばかりというのもうざいものですがねぇ。
 80年代、小劇場ブームが起こったのは、芝居に多くのギャグが含まれていたからという理由が大きいと思います。とにかくギャグが多くて面白い、だからこそお客さんは劇場まで足を運ぶようになったのではないでしょうか。そしてギャグに交えて、重めのメッセージを伝える。このさじ加減が、インディーズであった演劇を、文化的に一定の地位を占めるまで高めたのだと思います。そして演劇出身の人が作った映画は、それなりの評価を得ています。最近では「恋の門」や「真夜中の弥次さん喜多さん」がそうですね。こうした映画は、確かに演劇的になりすぎている面がありましたが、十分面白い映画でした。一方映画を撮り続けてきた人はどうでしょう? もちろん面白いものもありますが、沈黙してしまう作品も多いのでありまして。

 文芸的な映画を撮る作家は、ハリウッド映画をバカにする傾向があるような気がしてなりませんが、ことエンターテイメントという点では、ハリウッド映画は計算されつくしているように思います。それに対するアンチテーゼを出すのはいいのですが、楽しめない映画に金を出させようとするのはどうよ、とも思うわけですね。島本和彦の「吠えよペン」に、芸術的な映画にげんなりして、その後ハリウッド映画を見てほっとするというエピソードがあります。「ストーリーなんか…なくても全然大丈夫だ!」と。なんか日本映画が陥っている隘路を端的に示しているよなぁと思ったのですが、やっぱりそういう映画は続々と生産されていたのでした。

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雪の女王04

 ちまたではあんまりよい評判を聞かない「雪の女王」。曰く作画がアレだとか止め絵が多いとかキラキラしすぎとか古くさいとか。まぁ確かに演出が大仰なのは間違いないでしょうね。それに今回は少々作画もキツかったですし。

 ですが、私はまったく目をそらすことができなかったのです。カイの父カールの、そしてゲルダの気持ちの「ほとばしり」が、痛いほどよく伝わってきたのですね。感情のナマの盛り上がりが描かれているというのでしょうか。

 思えば、出崎作品の真骨頂は、こうした「ほとばしり」にあるように思えます。「ジョー」や「宝島」のような、もっともアブラがのっていた頃の出崎作品のコンテには、まさにコンテ用紙に監督の感情の盛り上がりが「叩きつけられていた」と聞きます。それがスタッフたちを動かして、あのような奇跡的な作品が生まれていたと聞きます。そんな感じがしたのですね。あの頃の「勢い」が、荒削りな作画の中に反映されていたのですね。これはちょっと…ヤバいかもしれませんよ! 凄いことになるかもしれませんよ!

 やべえ、やべえよアニキ!オイラさらにメロメロになっちゃうよ!

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女体化のガールフレンド

 以前から801板のスレッドで気になっていたのが、「女体化」という現象です。やおい的関係において、受けを女性の身体で描くというものです。たとえば「エヴァ」のシンちゃんを女の子として描いたりとか。私はずっと、腐女子の皆さんの脳の腐りっぷりが極限化したところに、女体化は現れると思っておりました。女体化スレによると、ジャンルの終盤に女体化はよく現れるといいます。ということは、普通のやおい関係では萌えが弱くなってきたために、既存の関係から新しい萌えを見いだすために、女体化という「さらなる抽象化」が行なわれるのではないでしょうか。やおい関係を生み出す妄想力より、一段階強力な妄想力が働いているのではないでしょうか。確かにパロディなどにおいて、受けが「心は男のままで身体だけは女」となるのは、激しくモエルのでありまして。自分の女体性に気づかずに無頓着に胸とかさらしたりして、まわりの方が真っ赤になったりするのでありまして。はじめてのブラとかはじめてのセイーリとかに戸惑ったりするのでありまして。例えば

手塚部長

とかが! …むむむ…ももも…もも萌えー! ともかく同人女性の「クィア化」が先鋭的な形で現れたのが、女体化ではないかと考えていたのです。

 ところが実際詳しい方にお話をうかがうと、もっと低年齢層の人が入り込んでいるというのですね。ティーンズラブなどのヘテロなセックス描写が可能になってきたことが背景になっているのですが、要はやおい関係のような抽象化の段階まで至らず、原作に出てくる男・男関係を、男・女関係になぞらえて描いてしまうのだというのです。「この子かわいいから女の子にしちゃえ…そうすればエロも自然に描けるし」という。半ば以上同人化を前提とし、ホモセクシュアルの方へ誤読されることが前提となっていた男・男関係を、ヘテロセクシュアルな方へ誤読することが行なわれているのだというのです。

 そんな疑問を解明するために、6月5日の日曜日は女体化イベントに行ってきましたよ。「鋼の錬金術師」のエド女体化オンリーで、題して「鋼鉄のGIRL FRIEND」。スペース数は80ほどで、整理券が必要な入れ替え制。そりゃまあ盛況なわけです。会場はほぼ女性だけで、男性客は私を入れてわずか3人。私は必要があってスーツだったものですから、浮いていること浮いていること。圧倒的に女性が楽しむイベントだということを痛感しました。そこで分かったことは次のようなことです。

・ロイエドかと思っていたらアルエド多し
・まんがと小説が半々
・描写は男性向けもかくやと思えるほどハード
・はっきりした女体に対する萌えあり
・シチュエーションや胸の描き方は本当に多様
・男女関係になぞらえてしまう人もいるが、質の高いものはそんな感じではない
・パラレルもありあり
・個人的には性格が原作通りの方が萌える

 意外だったのが最初の項目で、私はロイにさんざんに変態的行為を迫られるエドが多いのでは、と予想していたのです。ですが実際は、かなりアルエドが多い印象を受けました。「兄さん」が「姉さん」になるわけです。で、「姉さん」になってしまったエドとアルの関係…当然エロティックな関係…が描かれるのですね。
 それから驚いたのが、エロシーンの濃密さです。男性向けもかくやという直接的な描写が多いのですね。男性が見ても抜けそうなエロシーンが多いのです。この背景にはきっと、男性向けエロとティーンズラブが、女性の間にも浸透してきたことがあるのでしょう。またシチュエーションや、女エド=エド子の描写は、様々なバリエーションがあります。一番分かりやすい例が胸の描き方でしょう。貧乳が多いかと思えばさにあらず。美乳、豊乳、巨乳、微乳と、実に様々なんですね。そしてセックスのシチュエーションも多様です。オートメイルをわざわざ外してアルと中出しセックスするのが好きな姉さん、という本には、危うく愚息昇天しそうになってしまいましたよ。このように多様ではあるのですが、一つ共通しているのは、女体に対する萌えがあることです。作家たちは、明らかに女体を描くことに喜びを見いだしているのですね。女体を描きたいから女体化する、という動きも、かなりあるのではないかと感じられました。
 一方、現実の男女関係のアナロジーとして女体化を描く、という動きについては、ちょっとよく分かりませんでした。立ち読みをして、絵が上手い作品や萌えるシチュエーションがある作品ばかりを買ってしまったものですから。このことについては、もっと読み込んでみる必要があるかな、と感じています。ただ、上手い人たちにおいては、「やおいとは別腹」で楽しんでいるようなフシがあるように思いましたね。女体萌えがまず強く表れますから。これまたもう少し調査が必要だな、と考えています。

 女体化は、ひろーい目で見れば、やおいの文脈に入るのではないかな、と思いました。なんたって女性オンリーのイベントですから。それにベースになっているのは、明らかにやおい文化です。ですが、なんだかそれとはまた別の楽しみが存在し、いままさにそれが立ち現れてきはじめているように思いましたね。

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