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「かしまし」と男の子たちの生きにくさ

 「かしまし」が気になっています。「電撃大王」連載中で、アニメも放送中の。

 宇宙船にぶつかられた結果、遺伝子レベルから女の子になってしまった男の子・はずむの物語です。男の子だったときは、ガーデニングが趣味の、クラスの中でも目立たない存在。ですが女の子になると、とたんに明るくなります。女の子になることで、幼なじみで活発なとまり、美少女ですが孤独なやす菜との恋も成長していきます。

 象徴的なのは、男の子だったときのはずむは、常に目が隠れて描かれることです。行動もはっきりしません。男の子の時のはずむは、「ほんとうの自分ではない」ことが、明に暗に示されるのですね。はずむは、女の子になることによって解放され、「ほんとうの自分」になるのです。そして女の子との恋愛も可能になるのです。

 あかほりさとるが原作なので、基本的にはあまり面倒なことは考えていないでしょう。百合ブームに乗って、女の子どうしの恋愛を描こう。主人公がもと男なら、読者のほとんどを占める男の子からの共感も得やすいだろう…といったことぐらいしか考えていないのではと思われます。ですが、はずむの姿には、読者として想定されている男の子たちの「生きにくさ」が、強く反映されているように思えてなりません。

 生きにくい男の子の内面には、「女の子になりたい」という気持ちがどこかにあるのだと思います。女の子になれば女の子と親しくおしゃべりすることができる。女の子になればおしゃれなどが気兼ねなくできる。女の子になればなにもしなくてもちやほやしてもらえる…。女の子になって生き生きしているはずむの姿には、そうした願望が投影されているように思えてなりません。そしてそれは、「男である」「男らしく振る舞うことを期待される」「男としてのライフコースを選択することを迫られる」男の子たちが抱えるであろう苦しさを反映しています。また、女の子と上手く接することができないために、女の子には縁がないだろうと絶望している男の子たちの気持ちも反映しているでしょう。普段は女の子にはまったく近づくことはできませんが、女の子になれば合法的に仲良くなることができるのです。なんという絶望!

 ここに書いた「生きにくさ」は、私がかつて感じていた生きにくさや絶望から想像したものなので、現在の若い人たちの生きにくさとは別物の可能性があります。ですが、当たらずといえども遠からずなのではないか、と感じています。実際本当に女性との接触可能性がない男子はいますし、自分からその可能性を閉ざしている男子もいます(本人としては閉ざしているつもりはないんでしょうが)。

 「女の子になりたい」と思うことで、常日頃感じている「生きにくさ」からの逃避をはかる…そう評するのは簡単です。ですがこの作品の裏には、非常に深刻な自我とコミュニケーションの危機が隠れているような気がしてなりません。そして、「女の子になりたい」と思うことが、男の子の救いになり得ている(気休めかもしれませんが)ということに、問題の根深さを感じます。

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敵が味方になる謎

今日はある研究会の会合でした。私は、いわゆる「おたく」の人たちが感じている生きにくさの歴史的/社会的形成過程を発表しました。恋愛資本主義の確立と、パーソナルコミュニケーションメディアの発達が、おたくの人たちの生きにくさの背景となっているのではないか、という。これはちょっと進捗状況が遅いので、頑張らないと。

 で、参加者のIさんから、非常に興味深い話をうかがったのです。少年格闘漫画で文章を書いていらっしゃるのですが、「最強」と「ルール」のお話になったのですね。「あしたのジョー」で、ホセと戦ったジョーは、ルールならざる「男の拳」でホセに挑みました。しかしホセは、ルールに従ってジョーと戦いました。ジョーは片思いだったわけです。一方カーロスとジョーは、ルールは守りませんが、実に楽しそうに戦います。つまり彼らは「拳で語り合って」いるので、二人の想いは互いに通じ合っていることになります。格闘漫画は拳で想いを交わし合う、ホモセクシュアルな行為だというのです。

 なるほど!そういや「バキ」とか、メチャクチャホモ臭いですしね。それからジャンプ作品では、戦った後の強敵が、次に会うときには味方になっていたりしますが、それは愛を交わしあったからからなんですね。女子の皆さんが格闘漫画にやおいを見いだすのも、当然のことといえるでしょう。

 なんだか勉強になった研究会だったのでした。

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ジュディスに負ける

 14日は、初来日のジュディス・バトラーの講演会に行ってきましたよ。家を出たときには小雨だったのですが、めうがだにの駅に着いた時には結構な降りに。このあたりから少しやな予感がしていたんです。ちょっと早めに着いたら、整列して入場しなければならないとのこと。やな予感はだんだん強まります。ちょっとトイレに行こうと思ったら、トイレの場所がめちゃくちゃ遠く、5分以上歩かなければならないところ。この段階でもう帰りたくなってしまったのでした。

 講演そのものは、かなり平易な英語で行なわれました。同性でで結婚したいなら結婚するようにできれば良いじゃない。だけど、結婚することを最高のことにするってどうよ。もっといろいろな関係性もあるから、結婚だけをゴールにするのは良くない。常に関係性は流動しているので、達成するべき目標を固定すべきではない…ということを感じ取りましたよ。
 だけど問題は日本語の同時通訳。バトラーの講演原稿を訳して読んでいるのですが、これが長いのです。長くバトラーがしゃべり、長く訳者がしゃべる。ポイントがつかみづらいのです。結局頭がぐるぐるになってしまったのでした。買ってあるバトラーの本をちゃんと読み返さないとな、と思ったのでした。

 後半を聞くのを断念して、外に出たらまあ豪雨。せつなさはよりいっそう深まったのでした。まあその後はお友達とアツアツ腹黒鍋デート☆だったので、随分と復活はしたのですが。

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「一日一やおい」を始めます

 以前から考えていた「一日一やおい」を本格的に始動することにしました。URLは

 http://taimatsu.cocolog-nifty.com/1yaoi/

 です。

 とにかく一日一冊のやおい本を読んで感想を上げる、というものです。サブタイトルは「男もすなるボーイズラブ」
といったところでしょうか。ご興味のある方はご覧いただければ幸いです。

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